本当はこんな人生じゃなかったんだ、
というのをぶちまけたいのです。
完全に自己満足の行為だけど、
どうしても心の奥底で蠢いている感情・・・
それを公にすることを許して頂きたい。
読みたくなくなったら先は読まなくていいです。
自慢たらたらの文章になるはずですから。
楽天躁鬱は小学校(は公立)から私立の立命館中学に合格しました。
そのときの夢は「京大出身の弁護士」でした。
エレベータで立命館高等学校に進みました。
同級生の多くが立命館大学にエレベータで進むなか、
楽天躁鬱は国立大学を目指し受験勉強に励みました。
目指すは京大!(偏差値主義ですな(@@;))でしたが、
合格したのは北海道大学でした。
偏差値第一主義の楽天躁鬱にとっては不満足で、
すぐ代々木ゼミナールの本科生(浪人コース)を申し込みましたが、
家族の反対で北海道大学に進学しました。
北海道大学でも、研究一筋に生きる人生を考えていましたから、
獣医学部に進学しても研究ばかりしておりました。
北大卒業前、奇縁で京大医学部の教授に招かれました。
お陰で、北大を卒業後、京大ウイルス研究所の博士後期課程に
進学することができました。
あこがれの京大生です!!!
京大進学後、がむしゃらに働きました。
そうだよな、本当に一所懸命に働いていました。
お陰で、論文2本(1本は有名どころ)国際学会1回しました。
大学院1年生では充分と言える業績です。
2年生も順調に過ぎ、2月。
傷害事件の被害者となりました。
大学の帰り(車)に酔っぱらい運転者(車)に
煽ったと因縁をつけられ、
鉄製の鈍器で殴られました。
鼻が骨折するくらいなぐられました。
それ以来、うつ病が発症し、
研究も含め、つかれてしまって、
やる気がなくなりました。
主治医は入院休養を勧めましたが、
卒業前であると親が反対しました。
もしこのとき休養を摂っていたら、
その後の病状の悪化はなかったかもと思い、
残念でなりません。
うつ状態でも博士課程をどうにか卒業しました。
指導教官、先輩のお陰です。感謝。
卒業後、学術振興会特別研究員という職になりました。
月37万円の職です。いいですね
しかし、うつ状態で務まるわけありませんでした
しかし、就任後半年で辞めてしまいます。
大学の助手(助教)の推薦を頂いたからです。
「地方大学なら京大の研究職より少しは楽ではないか」
という高慢な態度で推薦を受けました。
結局、この職も、うつで寝たきりで、
3年間の休職期間をおいて
辞職を余儀なくされてしまいます。
よく誤解をされますが、大学教員として教鞭を執ったのは
わずか1週間です。
さて、ここからが「もし傷害事件にあってなかったら、
躁うつ病が発症していなかったら」のifの世界です。
楽天躁鬱が一番やり直したいと思うのは、
大学院1年生のときです。
あのときはすべてをもっていた。
元カノもすぐそばにいて、
エンゲージリングも受け取ってくれた。
業績も満足できるくらいあったし、
仕事ぶりも万人に認められていた。
NatureやScienceも充分狙えるデータをもっていた。
いまやどうだろう。
もはや業績は錆び付き、
元カノは去り
自分に残っているものはなんにもない。
今まで積み上げてきたものはなくなってしまった。
最後に。
だけど、わたしは今生きている。
人生そのままやり直しがきくとは思わないけど、
生きている限り、助けをかりて幸せに生きていけると
思います。
だって、生きているんだから、
いつでもやり直しができる。
躁うつ病人生のなかで、いろいろな経験(苦しみ)を
味わってきた。
それを人生の糧としながら、
わたしがもう一度働けると信じている人たちの助けを借りて
わたしはもう一度社会復帰をする。
そう思っています。
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